場に応じたほめ方を工夫し、それを続ける
1 とにかく、「ほめる」こと
子どものやる気を引き出すために、いちばん効果があることは、
ほめ続ける
ことである。
ただ、ほめればいいというのではない。
いくつかの原則がある。
(1) その場でほめる
(2) 具体的な言動を取り上げてほめる。
(3) 端的にほめる。
(4) ほめ方を工夫し、続ける。
ことである。
特に、発達障がいの子どもたちは、今までに叱られ続け、「どうせ、自分はできないのだ。」と思い込んでいる子が多い。瀬古エスティームがかなり下がっている。
こういった子に対して、1回や2回ほめても変わらない。
いつも、他の子の悪口を言ったり、ちょっかいをだしたりしている子が、自分はほめられたときは、きょとんとしている。黙って、じっとしている。「この子はほめても、表情も変えないし、うれしくないのだろうか。」と思うことがある。
しかし、それは違う。
彼らなりに、教師のほめ言葉を受け止め、心の中では満足しているのである。
いろいろな場面で、ほめ続けて行くと、少しずつ、行動が変わっていく。やる気がでてくるのである。
ある学級を担任していたときに、「きちんと叱っていないから、そんなに騒がしいのだ。」と言った教師がいた。
「騒がしい」にも、いろいろなレベルがある。
1つの学習目標に向かって、いろいろなところで意見を出し合っているとき、外から見ると「騒がしく」みえる。しかし、子どもたちはやる気を出して、考えているのである。
表面的なことしかみえていないと、それを基準にしてすぐに「叱る」ようになる。
せっかくの子どもたちのやる気を安易に「叱る」という行為で、摘んでしまうことになる。
「叱る」ことは必要である。しかし、子どもたちの様子をしっかりと見抜いて、判断しないといけない。
表面的な現象だけをみて、安易にしかると「やる気」を失わせてしまう
のである。
2 ほめることは「即効薬」
新学期が始まってまもない頃、気になる子がいた。人と関わるのは苦手で、特定の子と特定の遊びしかできない子である。1人で土いじりや昆虫探しなどをしているのが好きな子である。
かなり変わっているので、からかわれることもよくある。あまり、気にしないタイプの子であるが、1週間ほど前に親から「ある子から、いろいろとからかわれることを気にしているようです。注意してみていただけますか。」と頼まれていた。
能力はまあまあであるが、どうも、やる気がない。絵もうまいのだが、途中で嫌になって投げやり的なぬり方をする。
参観日の後の親子ドッチボール大会では、途中で嫌になり、チームに入らず、周りで遊んでいる。親も言っても仕方ないのか、黙認である。
次の日の1時間目の国語の時間。めずらしく、教科書などを出しており、何も言って日付、題名を書いて持ってきた。「すごい、A君とってもやる気になっている。」とみんなの前でほめた。
指名なし音読。なんと、2番目に立って読んだ。途中で切れたところ一端止めて、「A君は、前に比べてすごくうまくなっている。」とほめた。あまり表情に出さない子が嬉しそうにしていた。
さらに他の子が読んでいるのを聞いている姿勢がよかったので、「A君、いい姿勢をしているね。」とほめた。
約10分間で3回。特別に多いほうではないだろう。しかし、こういったことがきっかけで終日、別人のようにがんばり、発表も進んでしていた。
「ほめる」ことの教育効果を再認識した感じだが、逆に言うと、普段この子をあまりほめていなかったのではないかとも言える。「ほめる」ことは即効薬だ。いろいろな「ほめ方の処方箋」を学んでいかねばならない。
3 些細な行為を見逃さずに
学級の中に、勉強や運動はできるが、自分のことしか考えない子がいる。よく、人を馬鹿にしたような言動をするので、その都度注意をしている。人のできていないこともよく言ってくる。
掃除は一人でする場所(ベランダ)をしているが、教師の目の届かないところでサボっているようである。今のうちに、何とかしないといけないとずっと思っていた。
が、これはひょんなことから、がらりと変わった。
この子の前の席の子の机上に配られていたプリントが風で飛ばされて下に落ちた。すると、この子はさっと立ち上がって、それをさりげなくその子の机の上に置いたのである。
それを前の席の別の子が、筆箱で跳ばないようにした。時間にしてわずか数秒のことであった。
これを私は全員の前でほめた。すばらしいことだとほめた。この子は意外そうな顔をしていた。何で、こんなことでほめられるのかなと思ったのかもしれない。
が、これをきっかけにこの子は、些細なことでもよく動くようになった。ひょっとすると、教師にほめられるためにしているのかもしれない。でも、行為ががらりと変わったのは間違いない。
この子に限らず、私は今までにこういった些細な行為を見逃してきたのではないだろうかと思った。子どもがよく見えているときは、こういったちょっとしたことが心に引っかかる。
4 意味のないほめ言葉
先日、サークル例会で若い先生の摸擬授業を受けた。
前回に見せてもらったときに、「先生の授業はあらかじめ用意した内容を淡々と進めているだけで、子どもを全く相手にしていない感じがする。ほめ言葉もほとんどない。」とコメントした。
それを受けての今回の授業である。国語の音読を最初にさせた。
全員に読ませたあと、言った。
「とても上手に読めましたね。」
生徒役は全く気にとめていない。
次に一人一人に読ませていった。
「とても上手に読めましたね。」
「じょうずに読めましたね。」
「元気よく読めましたね。」
「うまく読めましたね。」
こういった調子である。そこで、授業者にたずねてみた。「Aさんのどこが上手だったのですか?」しばらく考えこんでいる。
「適当にほめ言葉をいったのではないですか。」と言うと、苦笑いをしていた。
高学年の子どもだと、このようなお世辞みたいな「ほめ言葉」をすぐに見抜く。中には、自分のことを馬鹿にしているのではないかと思う子もいる。逆効果である。
低学年でも、そう感じる子がいる。知らんふりをしているケースなどはそうだと思って間違いない。
確かに、たくさんほめることは大切である。しかし、全く意味のない、適当に言っただけのほめ言葉は返って授業のリズム。テンポを悪くしてしまうだけである。
特に若い教師は、「どういった場面で、どういったほめ言葉が効果的であったのか」を記録に残しておきたいものである。
5 いいところをほめ続けることで、セルフエスティームを高めていく
ある発達障がいの子。
算数の時間になって、授業が始まっているのに道具も出そうとしない。全体に指示をしたあと、手伝って出す。ノートもとらない。
角の学習。道具をいつも忘れて来ていたので、分度器や三角定規を貸していた。そのうち、きれいなものを買ってもらって持ってきた。今度は授業中に、それを使って手遊び。
そこで、角を書くところの問題で、うすく赤鉛筆で書いてなぞらせる。はじめは全くできなかったが、そのうち、少しずつ自分でするようになり、できるようになっていった。
彼はセルフスティームが低く、「自分はできない」と思い込んでいる。これを少しずつ、変えて行くには「エラーレスラーニング」の指導を重ねて行く以外にない。
「トライ・アンド・エラー」を続けると、間違いの回路が作られ、学習に反抗する子や、やる気のない子が生まれていく。
今までにもかなりそれが積み重ねられている。それを少しずつぬぐっていく。
無数の小さな成功体験を積み重ねていく。
他にも、セルフエスティームの低い子が多い。「教え、なぞらせ、できたのをほめる」ただひたすらにこれを繰り返すだけ。「やる気」を引き出していくためには、根気よく続けて行く以外にない。