「みんなで遊ぶ日」のトラブル
多くの学級で、昼休みなどに「学級みんなで遊ぶ日」を決めて実施している。
先生が仕切っている学級もあるが、「遊び係」などが中心となってしている所も多い。
この「みんなで遊ぶとき」、トラブルがよく起こる。ルールを守らなかったり、ちょっとしたことで喧嘩になったりする。中には、途中ですねて、やめてしまう子もいる。
特に、教師がいないときはそうである。もっとも、教師もいつもついていることができないので、悩みの種でもある。教師が強引に仕切っている学級もある。それはそれでいいのかもしれないが、違和感を持つこともある。
私はずっと、「みんなで遊ぶ日には、トラブルがあるのが当たり前」と思っていた。ある意味、指導の放棄とも取れる考え方であり、恥ずかしい。
昨日の昼休みのみんなで遊ぶ日。私は別の仕事があり、外に出ることができなかった。子どもたちで、「ケイドロ(鬼ごっこ)」をしていた。終わって帰ってきた子どもたちは、「ちょっとした喧嘩はあったけど、前ほどではなかった。」と言っていた。
この企画、「遊び・チャレラン係」が全て決めて、実施していたものである。
以前は、よくトラブルがあり、途中で面白くなくなってやめた子もいた(認められてはいないが・・・)
こう変化していった原因をいろいろと考えてみる。
すると、あることに突き当たる。
「自分の負けを認める子が増えてきた」ことである。百人一首や名句カルタを毎日、続けていく中で僅かであろうが、こういったものが形成されていった。また、1対1でいろいろな子と対戦する中で、コミュニケーションがとれるようになっていった。「ふれあい囲碁」でも同様である。
その延長に、みんなで遊ぶ日がある。少しでも負けを認めることができるようになりつつある子は、遊びの中で鬼にタッチされても、素直に捕まったことを認めるようになる。すると、トラブルは起こりにくくなる。
もちろん、事例が少ないので言い切ることはできないが、何かが変わりつつある。
百人一首や名句カルタで負けを認めることができるようになった子どもが、遊びなどの中でどう変わっていくのか、一度、検証してみたいと思っている。